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空海(弘法大師)花押
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平安時代初期の僧。
弘法大師の諡号で知られる真言宗の開祖である
774年香川県善通寺市で生まれた。父は郡司・佐伯直田公、幼名は佐伯真魚。
18歳で京の大学で明経道で、春秋左氏伝、毛詩、
尚書などを学んだ.
大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から
山林での仏道修行に入った
土佐の室戸岬などで求聞持法を修し口に明星
(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできた、このとき空海は悟りを開いたといわれる。
入唐直前31歳の年に東大寺戒壇院で得度受戒した。
805年5月密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事、8月10日には伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(大日如来)を意味する遍照金剛の灌頂名を与えられた。
806年10月帰国。816年)6月19日、
修禅の道場として高野山の下賜を請い、7月8日には、高野山を下賜する旨勅許を賜る。
835年高野山で弟子達に遺告を与え、3月21日に入定
(逝去)した。享年62歳。
921年10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇
から「弘法大師」の諡号が贈られた。
醍醐天皇の夢枕にボロボロの衣で髪はボサボサでヒゲが
伸びた姿で修行中の空海が現れたので檜皮色のお衣を送られました。観賢僧正が御廟の中に入られたときは醍醐天皇の夢枕で見たときと同じ姿でしたので髪とヒゲを剃りお衣を着せ替えました。
現在も年一回お衣替えの儀式続いています。
お衣を弘法大師空海の御廟前にお供えしています。
真言宗では、宗祖空海を「お大師さま」と崇敬し、その入定を死ではなく禅定に入っていて高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けて座禅していると信じている。現在に至るまで毎日二回お食事をお出ししています。
奥の院ではお
大師様の禅定の妨げにならないよう大きな音を出してはいけないとい言われています
入定前の遺告の中に我が名を呼ぶ者があれば影が形に従うがごとく寄り添い救うと遺言された。弟子は崇敬し南無大師遍照金剛と唱え信者は信仰の対象として唱えている。
現在、兜率天で修行中の弥勒菩薩が56億7000千万年後に仏と成ってこの世に現れる時、空海も一緒お出になり、仏の教えを聞き衆生に解り易くご説法をすると言われております。奥の院には沢山のお墓がありますが、弥勒菩薩の下生と空海がお出になるのを、待っておられ方々です。



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花押を送料、税込みにて鑑定証書、花押七点証書、七点の説明書、筆順書付きで1点
45,000円


納品花押は1週間の納期でお送りいたします。




鑑定に必要ですからお名前に必ずふり仮名を付けて、生年月日、ご職業は記入してください。



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