運の花押を作る花押工房

花押工房
北条高時の花押
TOP


鎌倉時代末期の北条氏得宗家当主、鎌倉幕府第14代執権。
1304年1月9日、第9代執権・北条貞時の三男として生まれる。
9歳の時に父貞時が死去。貞時は死去の際、高時の舅・安達時顕と内管領・長崎円喜を幼い高時の後見として指名した。その後高時まで三代の中継ぎ執権 を経て、1316年、父と同じ14歳で14代執権となる。
在任中には、諸国での悪党の活動や、奥州で蝦夷の反乱、安藤氏の乱などが起き、1324年、京都で後醍醐天皇が幕府転覆を計画した正中の変では、倒幕計画は六波羅探題によって未然に防がれ、後醍醐天皇の側近日野資朝を佐渡島に配流し、計画に加担した者も処罰された。1326年には、病のため24歳で執権職を辞して出家する。1333年2月に後醍醐天皇が隠岐を脱出して伯耆国の船上山で挙兵すると、幕府は西国の倒幕勢力を鎮圧するため、北条一族の名越高家と御家人の筆頭である下野国の御家人足利尊氏を京都へ派遣する。4月に高家は赤松則村の軍に討たれ、尊氏は後醍醐天皇方に寝返って、5月7日に六波羅探題を攻略。5月8日、関東では上野国の御家人新田義貞が挙兵し、幕府軍を連破して鎌倉へ進撃する。18日に新田軍が鎌倉へ侵攻すると、22日に高時は北条家菩提寺の葛西ケ谷東勝寺へ退き、北条一族や家臣らとともに自刃した。享年29。

花押の販売
花 押

花押を送料、税込みにて鑑定証書、花押七点証書、七点の説明書、筆順書付きで1点
45,000円


納品花押は1週間の納期でお送りいたします。


鑑定に必要ですからお名前に必ずふり仮名を付けて、生年月日、ご職業は記入してください。



TOP
カウンター
                                                                     
北条高時の花押