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尼子義久花押
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戦国時代から江戸時代前期にかけての大名、武将。 尼子晴久の嫡男。
1540年、出雲国の戦国大名・尼子晴久の次男として生まれる。
1560年12月、父・晴久の急死により家督を継ぐ。
毛利氏との石見大森銀山を巡る争いがあり、晴久が急死したことを察知し毛利氏は石見国への侵攻を開始する。
伯耆江美城の落城により、尼子氏の糧道がほぼ押さえられ、富田城内では次第に兵糧が欠乏し、士気が衰え義久は月山富田城を開城を決意。毛利元就に降伏する。元就は義久とその弟たちの一命を助け、安芸円明寺に幽閉している。これによって、大名としての尼子氏は滅亡した。義久は1589年、毛利輝元より毛利氏の客分として遇され、安芸国志道に居館を与えられた。1596年、長門国阿武郡嘉年の五穀禅寺において剃髪、出家して友林と号した。
1610年8月28日、長門国阿武郡奈古で死去した。享年71。



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